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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)2519号 判決

原告 甲野一郎

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 佐伯康博

藤沢抱一

鈴木五十三

内藤義三

〈ほか二七名〉

被告 国

右代表者法務大臣 秦野章

右指定代理人 小林域泰

〈ほか三名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、一〇〇万円及びこれに対する昭和五一年五月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告甲野一郎に対し、B四版の紙面に別紙記載の文章を記載した文書を、東京地方裁判所昭和五一年(ワ)第二五一九号損害賠償等請求事件(以下「本件」という。)につき判決が言い渡された後すみやかに、東京地方検察庁検事正が原告ら各自に手交する形態で謝罪せよ。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  1につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 原告大導寺将司(以下「原告将司」という。)、同大導寺あや子(以下「原告あや子」という。)、同片岡利明(以下「原告片岡」という。)は、いずれも、昭和五〇年四月一八日夜発生した韓国産業経済研究所爆破事件の被疑者として同年五月一九日逮捕され、引き続き勾留されたうえ、同年六月一〇日右事件につき爆発物取締罰則違反により起訴され、更に、昭和四九年八月三〇日に発生し死者八名負傷者多数を生ぜしめた三菱重工本社ビル爆破事件の被疑者として昭和五〇年六月九日再逮捕されたのを始め、以後昭和五〇年七月一七日興亜観音等爆破事件につき爆発物取締罰則違反により起訴されるまでの間同種爆発事件(いわゆる「連続企業爆破事件」)の被疑者として逮捕、勾留を繰り返しなされ、昭和五〇年五月一九日から同年七月一七日まで、その身柄を拘束されたうえ警察官及び検察官により合計一三事件の取調べを受けた者である。

(二) 原告甲野一郎(以下「原告甲野」という。)は弁護士であり、昭和五〇年八月二七日ごろまでに、右将司ら原告三名より、当時既に起訴されていた全ての刑事被告事件の弁護人に選任され、以来同原告らの弁護人としての活動をしてきた者である。

2  検察官による違法行為

(一) 本件の背景

(1) 原告将司、同あや子、同片岡は、昭和四八年夏ごろから、佐々木規夫とともに天皇暗殺を計画するようになり、昭和四九年七月ごろ、同年八月一四日天皇が那須にある御用邸から帰京するため乗車した特別列車を東京都と埼玉県の境にある東北本線荒川鉄橋を通過する際鉄橋もろとも爆破することを具体的に計画した。そして、右四名は、同計画に基づき、同年八月一〇日ごろこれに使用する爆弾を製造し、同月一二日夜、右爆弾を仕掛ける予定の鉄橋中央付近の橋脚と線路の間から発破をかける場所に予定している河川敷まで約一キロメートルにわたって導火線用の電線を草むらに引いた。ところが、翌一三日深夜爆弾を仕掛けるためにこれを鉄橋わきの河川敷に運んだうえ鉄橋に近づいたところ、付近に数名の人影があり、これらの者が立ち去るのを待っているうちに一四日の始発電車が走ってしまい、結局爆弾を特別列車の通過前に仕掛けることができなかった。

原告将司ら右四名は、右天皇特別列車爆破計画を「虹作戦」と通称していた。

(2) 原告将司、同あや子、同片岡は、前記爆発物取締罰則違反被疑事件で勾留されていた昭和五〇年六月下旬には、それぞれの取調検察官に対して右(1)の事実(以下「荒川鉄橋事件」という。)の概略を自供した。

(3) しかしながら、検察当局は、荒川鉄橋事件が天皇に対する犯罪ということで、その社会的影響は勿論のこと、天皇によるアメリカ合衆国訪問(以下「天皇訪米」という。)が既に同年九月三〇日に予定されていたことからその政治的影響も大きいことが予想されたため、これを考慮し、そのころ、同事件については捜査、起訴、公表をしない旨の方針を立て、原告将司、同あや子、同片岡の前記自供に基づいてそれぞれ検察官面前調書を作成しただけでその取調を続行しようとせず、同年七月一七日興亜観音等爆破事件の起訴により一連の企業爆破事件の捜査処理を終えた後にもこれを捜査しようとしなかったため、荒川鉄橋事件は表面化しないまま、原告将司、同あや子、同片岡による連続爆破事件の処理の焦点は、右七月一七日をもって捜査から公判に移行した。

(4) ところが、昭和五〇年九月二〇日、朝日新聞紙上に荒川鉄橋事件の概要が大きく報道され(以下「本件新聞記事」という。)、同事件を極秘裏に処理しようとしていた検察当局の責任が問われかねない状況になった。また、連続企業爆破事件については、原告将司、同あや子、同片岡、荒井まり子が東京地方裁判所刑事第六部に、黒川芳正、浴田由紀子が同第五部にそれぞれの起訴事件で係属していたところ、右刑事被告人らは全員で統一公判を要求し、同年一〇月三〇日右第六部で第一回公判が開かれる予定であったにもかかわらず、原告将司、同あや子、同片岡、荒井まり子らが分離公判に反対して出廷を拒否したため、右期日は同年一一月二七日に延期され、裁判の進行も波乱の様相を呈していた。

(二) 取調検察官らの行為

そんな状況の下で、原告将司、同あや子、同片岡は、荒川鉄橋事件の被疑者として昭和五〇年一〇月三一日逮捕され、引き続き勾留されたうえ、同年一一月一四日同事件につき殺人予備、爆発物取締罰則違反により起訴されたが、取調検察官は、取調に当り、次のとおりの発言をした。

(1) 検察官長山四郎(以下「長山検察官」という。)は、昭和五〇年一一月二日原告将司を取調べる際、同原告に対し、「原告甲野が朝日新聞の警視庁詰め記者に君の手紙を売り込んだ。数百万円の金が動いているのだ。」、「六〇〇万部の朝日の特ダネだからね。」と言った。

(2) 検察官関場大資(以下「関場検察官」という。)は、昭和五〇年一〇月三一日から翌一一月四日までの間、原告あや子を取調べる際、同原告に対し「荒川鉄橋事件の情報を流したのは原告甲野であり、それを受けたのは朝日新聞の村上記者である。」、「その際数百万円から一〇〇〇万円の金が動いた。これは公安記者の間では常識になっている。」と言った。

(3) 検察官松浦恂(以下「松浦検察官」という。)は、昭和五〇年一一月一日から同月三日までの間、原告片岡を取調べる際、同原告に対し、「荒川鉄橋事件の情報源を追求したところ、朝日新聞の某記者により原告甲野がこのネタを流したとの確認を得た。」、「一〇〇〇万円支払われたという噂があるのは本当だ。」、「警視庁詰めの記者の間では、九月二〇日の記事内容を受け取ったのは村上だというのが常識になっている。検察も、もちろん村上本人に直接連絡を取り原告甲野からのネタであると確認している。」と言った。

(4) なお、右各検察官の発言は、荒川鉄橋事件の主任検事で公判部副部長の職にあった検察官親崎定雄(以下「親崎検察官」という。)が、同年一〇月三〇日、右三名の検察官に対し本件新聞記事に関し、「原告甲野が朝日新聞の村上記者に、対価をえて情報を流した。その対価は数百万から一〇〇〇万円である。」旨伝え、この事実を被告人に告げ取調をするよう指示したことに基づくものである。

(三) 右発言等の違法性

原告甲野は朝日新聞に情報を流したという事実はなく、ましてその際金銭の対価を得たというようなことはないから、右検察官らの指示・発言の内容は虚偽であるのに、右検察官らは三ヵ月以上にもわたって荒川鉄橋事件を極秘扱してきたにもかかわらずこの段階で改めて捜査することについての責任を回避し、また、既に起訴済の全ての刑事被告事件の弁護人であり荒川鉄橋事件についても弁護人となろうとする者と右将司ら原告三名との間の信頼関係を崩すことによって、荒川鉄橋事件についての自白を得るとともに起訴済の事件についての公判の円滑な進行を図ろうとして、右の指示・発言をしたものである。

3  被告の責任原因

前記のとおり、原告甲野が朝日新聞に金銭の対価をえて情報を流したというのは虚偽の事実であるのに、親崎検察官の指示は、少なくとも重過失によりその真否を確かめないで、虚偽の事実を被疑者に告げて取調をするように指示したものであり、長山、関場、松浦の三検察官の発言も、少なくとも重過失によりその真否を確かめないで、虚偽の発言をしたものであるところ、これらの検察官の指示・発言は、いずれも国の公権力の行使に当る公務員として、その職務を行うについてなされたものである。

4  損害

(一) 原告将司、同あや子、同片岡は右2(二)の検察官の行為により、次第に、原告甲野が金銭的な対価を得て荒川鉄橋事件の情報を朝日新聞の記者に流したとの疑いを強く抱くようになるとともに、右事実をあくまで否認する原告甲野に強い不信感を持つようになった。その結果、原告甲野は右将司ら原告三名の弁護人として十分な弁護権を行使することができなくなり、右将司ら原告三名も刑事被告人及び被疑者として十分な防禦権を行使することができなくなった。

また、原告鈴木は右2(二)の各行為により弁護士としての名誉感情を著しく害され、将司ら原告三名は著しい精神不安定状態に陥った。

(二) そのため原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには、原告らに対し少なくとも各一〇〇万円の支払をするとともに、原告甲野の名誉を回復するために、B四版の紙面に別紙記載の文章を記載した文書を本件につき判決が言い渡された後すみやかに東京地方検察庁検事正が原告ら各自にそれぞれ直接交付することを要する。

5  結論

よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条の規定に基づき、前記検察官の不法行為に基づく損害の賠償として各一〇〇万円及びこれに対する不法行為のあった日の後の日である昭和五一年五月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、併せて原告甲野は、その名誉回復のための措置として請求の趣旨2記載のとおり謝罪文書の交付を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)(1) 同2(一)(1)及び(2)の事実は、認める。

(2) 同2(一)(3)の事実中、天皇訪米が昭和五〇年九月三〇日に予定されていたこと、検察当局が同年九月二〇日以前に荒川鉄橋事件を公表しなかったこと、同事件について同年六月下旬原告将司、同あや子、同片岡の自供に基づき検察官面前調書が作成されたこと、それ以外に同年九月二〇日以前に同事件につき捜査がなされなかったことは認め、その余の事実は否認する。

検察当局が昭和五〇年九月二〇日以前に荒川鉄橋事件を公表しなかったのは、次の事情による。即ち荒川鉄橋事件は、日本の過去における侵略ないし戦争の責任及び現在における新植民地主義による経済侵略等の責任を追及するため、憲法によって日本国の象徴であり日本国民統合の象徴たる地位にある天皇を爆弾によって殺害し、日本の国家及び社会体制を破壊するとの動機に基づき、天皇が乗る特別列車を鉄橋もろとも爆破しようと準備したものであって偶然の事情から予備行為にとどまったとはいえ、極めて悪質で社会的影響の大きい犯行であったため、右自供がなされたころこれを公表すればいたずらにマスコミの攻勢に遭い、捜査の重点が同事件に移る結果になることが明らかであるところ、そうなれば、当時捜査中であり一連の企業爆破事件の中でも最も重大な犯行である三菱重工本社ビル爆破事件の全ぼう解明に支障をきたすことになるばかりか、これに引き続き早急に捜査し解明すべき間組本社爆破事件等重大な被害を生じたその他の企業爆破事件多数についての円滑な捜査・処理をも妨げるおそれもあることから、一連の企業爆破事件の捜査処理を一応終えるまでこれを外部にはもちろん捜査当局内部においても秘密にしその捜査の進行も保留することにした。そして、昭和五〇年七月一七日、一連の企業爆破事件の捜査処理を終えてからは、その公判の準備を進めるとともに、荒川鉄橋事件の処理につき、同事件の際準備された爆弾がその後三菱重工本社ビル爆破に用いられたことから、三菱重工本社ビル爆破事件に至る過程で起きた単なる余罪として三菱重工事件公判の冒頭陳述で明らかにすれば足りるか、被告人質問の段階で明らかにすれば足りるか、捜査を継続して検察庁の処分を明確にすべきか等極秘裏に検討していたのである。しかしながら、その間、沖縄海洋博における皇太子襲撃事件、クアラルンプール事件における佐々木規夫強奪事件等の重大事件の発生が相次ぎ、荒川鉄橋事件について明確な結論が出せずにいた。

(3) 同2(一)(4)の事実中、本件新聞記事が掲載されたことにより荒川鉄橋事件を極秘裏に処理しようとしていた検察当局の責任が問われかねない状況になったことは否認し、その余の事実は認める。

(二) 請求の原因2(二)の事実中、原告将司、同あや子、同片岡が荒川鉄橋事件の被疑者として昭和五〇年一〇月三一日逮捕され、引き続き勾留されたうえ、同年一一月一四日同事件につき殺人予備、爆発物取締罰則違反により起訴されたこと、右事件に関し、公判部副部長である親崎検察官が、一〇月三〇日長山、関場、松浦の三検察官に対し荒川鉄橋事件の強制捜査について指示を与えたこと、長山検察官が原告将司を、関場検察官が原告あや子を、松浦検察官が原告片岡をそれぞれ原告ら主張の日に取調べたことは認め、その余の事実は否認する。ただし、次のような事実はある。(1)原告将司は、一〇月三一日弁解録取の段階では、検察庁が荒川鉄橋事件の公表を控えていたことや、前記刑事裁判の第一回公判期日が自分達の抵抗で流れた翌日に強制捜査に及んだ検察庁の行為を批判して事実関係の具体的供述を拒否していたが、長山検察官が、本件新聞記事が出たことによって捜査せざるをえなくなった旨説明するとともに、同記事の写しを示して「これは君達の方から流したんではないのか。」と質したのに対し、「その記事内容は、原告甲野に自分が宛てた手紙がもとではないか。」と述べていたのであり、更に一一月一日か二日に長山検察官が原告将司を取調べている際、同原告は本件新聞記事の情報源が自分の原告甲野に宛てた手紙であることを自認したうえで、雑談的に「金が流れているんだろうね。」と質問してきたので、同検察官はいろいろな話題について自由に話し合い、その話合いを通して原告将司の疑問が氷解することを期待し、これに答える意味で「朝日新聞は六〇〇万部も五〇〇万部も印刷されている大会社だから、スクープで特ダネといえば相当の金が出ているんじゃないか。金額その他についてはだれも確認していないんだし、新聞記者仲間の噂にすぎないので自分はわからないよ。」と述べた。(2)原告あや子は一〇月三一日弁解録取の段階から荒川鉄橋事件については黙秘の態度をとったため、同日その取調にあたった関場検察官は、同原告が話に応じるきっかけを作ろうと考え、検察庁がこの時期に強制捜査をするに至った経緯を説明した折、右新聞記事の情報源に触れ、「情報源は原告将司の同甲野宛の手紙であると思う。」と述べ、これに付随して「この件については、噂で本当か嘘か知らないが、数十万円だか、数百万円の金銭の授受があったという噂だから情報の流れはさっき言ったように間違いないんじゃないか。」と述べたが、誤解を与えないようにとの配慮から「金銭授受については噂で本当か嘘かわからないし、情報源についても、弁護人と接見したときに君自身確かめてみたらいい。間違いだったら取消す。」と付加した。更に一一月四日及び五日に、原告あや子が右両日弁護人と接見したところから、右情報源問題を確かめたかどうかを確認する意味で、「情報ルートの流れと、金銭の問題を確かめたかね。」と尋ねた。(3)原告片岡も一〇月三一日弁解録取の段階から荒川鉄橋事件については黙秘の態度をとったため、同日その取調にあたった松浦検察官が、同原告に対し、企業爆破事件の関係では全面的に自供しているのに荒川鉄橋事件についてだけ何故黙秘するのかを質問したところ、同原告は一連の企業爆破事件の捜査が終了し一段落して三か月も経った時期に、しかも前記刑事裁判の第一回公判期日が自分達の出廷拒否で流れた直後に強制捜査をするということに疑問を呈し、その間のいきさつを説明してもらわなければ供述する気になれないと答えたので、同検察官は右疑問を氷解させる必要があると判断し、六月の段階で自供を得た検察庁がそれ以上突込んだ捜査をしなかったいきさつは分からないと説明したうえ、検察庁がこの時期に強制捜査をせざるを得なくなった理由と必要性については、本件新聞記事によって荒川鉄橋事件が国民全般に知られるところとなったので、検察庁としては再度厳正に捜査し直してはっきりと結論をつけ真相解明を求める国民の期待に対して応える義務があると説明した後、自分としては、右記事は荒川鉄橋事件を一連の企業爆破事件の中核に据えることによって事件の性格付けをすることを意図して被疑者側が漏らしたものと考えているが、自分達の方で公表しておいていざ捜査ということになって口をつぐむのは態度として矛盾するのではないかと述べ、供述するよう同原告を説得したが、同原告はこれに納得せず、自分達が漏らしたというのならば具体的なルートとその根拠を示せと応じたため、同検察官は、同原告の抱いている前記疑問を氷解させ、検察庁の当該強制捜査の必要性を納得させるためには自分が真実と信じている情報ルートや根拠について具体的に説明する必要性があると考え、その根拠として、①原告将司の居房から押収されたメモの内容と本件新聞記事が一致すること、②原告将司自身も取調検察官に対し自分の原告甲野宛の手紙が朝日新聞社に提供されたものと思うと述べ自認していること、③右押収にかかるメモ中に、検察庁に対し本件の公表や起訴を要求する旨の記載があることなどを挙げたうえで、情報ルートとしては、「原告将司が同甲野宛に書いた手紙が朝日新聞社に提供されたものと思う。」と説明した。その際、原告片岡はすかさず「金が動いているのか。」と質問したが、同検察官は同原告に不必要な誤解を与えない配慮をし、「そういう噂もあるが、私自身確認したことではないのでなんとも言えない。必要ならば弁護人との接見の際に確認してみるように。」と答え、それ以上この問題について深入りすることを避けた。ところがその後一一月四日の取調の際、同原告は、同検察官に対し、「午前中接見した弁護団の一人に朝日新聞社への情報提供問題を尋ねたところ、原告甲野が情報を提供したことはないと言っていた。また、その弁護人が言うには、右情報提供に関して一〇〇〇万円の金が動いたという噂がある旨を他の被疑者から聞いたとのことである。真偽はどうなのか。」と更に質問してきたため、同検察官は、既に弁護人の口から金額の噂が伝わってしまっている以上、噂どおり話をした方がかえって事実を誤解させないであろうし、検察庁の立場を理解し信用を得られるであろうと考え、「金が動いたという噂はあるが、私が聞いた噂は一方に六〇万円という金額が出てきたり、片方で六〇〇万円と言ったり、一〇〇〇万円と言ったり諸説紛々であって私自身も確認のしようがないため今まで金額のことを言わなかった。しかし君の方からそう言うなら確かに金額の噂はある。」と答えた。(4)親崎検察官は、一〇月三〇日長山ら三検察官に捜査方針を指示した際に、本件新聞記事は検察・警察サイドから流れたものではなく、公安担当記者らから聞き、自らも確認したところによると、原告将司の同甲野あての手紙が情報源であると思われること、新聞記者間において右情報の提供に関して相当の金が支払われたらしいと噂がたっていること等を説明した。

(三) 請求の原因2(三)は、否認する。なお、取調検察官の各発言は右(二)のとおり、本件新聞記事の情報源が原告将司から同甲野に宛てられた手紙であること及び右情報提供の際に相当多額な金員の授受があったという噂があるというものであり、原告甲野が情報提供したと述べたものではないし、ましてや同原告が金員を受領したなどと述べてはいないのである。そして、右発言の内容はいずれも真実であり、しかも、その発言のうち中核をなすのは前者の情報源に関する部分にあり、後者の噂に関する部分は付随的なものにすぎない。

3  請求原因3は、否認する。本件新聞記事の情報源が原告将司の同甲野宛の手紙であることについて、親崎検察官においては、第一に、原告将司らが昭和五〇年六月に荒川鉄橋事件の概略を自供して以来自らの判断でこれを厳に秘密扱いにしてきたところから、捜査当局からその情報が漏れる可能性は殆ど考えられなかったこと、第二に、本件新聞記事掲載後親崎検察官の元に取材活動に来た新聞記者から同記事の情報源は原告将司の同甲野宛の手紙であり、新聞記者間では右情報提供に当って相当多額な金員の授受があったという噂があるとの情報がもたらされたこと、第三に、昭和五〇年一〇月一八日、連続企業爆破事件の第一回公判期日に関し原告甲野を含む五名の弁護団と打合せをした際、親崎検察官が原告甲野に対し右情報源についての新聞記者からの情報の真実性を問うたところ、同原告は何らの反論をせず暗にこれを認める態度であったことに基づきこれを真実であると信じたものであり、又、長山ら三検察官においては、昭和五〇年一〇月三〇日信頼する上司である親崎検察官から同人の体験した右三点を挙げて説明を受け、しかも翌三一日、原告将司の居房から同原告が原告甲野宛に発した手紙の下書と思われるメモが発見され、その内容からしても本件新聞記事の情報源が前記手紙であると考えられることからこれを真実であると信じたものであり、いづれもそのように信じたことについて過失はない。

4  請求の原因4の事実は、否認する。親崎検察官は、昭和五〇年一一月八日には、同月四日になされた連続企業爆破事件の弁護団との約束に基づき、原告将司、同あや子、同片岡に対し、検察側に弁護人と被疑者との間の信頼関係破壊の意思のないこと及び金員に関する噂についての発言を取り消す旨説明しているのであり、また本件新聞記事掲載当時、そもそも原告将司は自ら積極的にその公表を主張し、その旨の原告甲野宛の手紙を発していたし、同あや子もこれに同意し、同片岡も右両原告がその公表を望んでいるならば自分もこれに同調しようと考えていたのであるから、右原告将司の同甲野宛の手紙が本件新聞記事の情報源であるとされることによって原告らの主張するような損害が生ずることなどあり得ない。現に、原告甲野は、三検察官の前記発言の後も、原告将司、同あや子、同片岡と接見を重ねており、これらの者から解任されるという動きもなく、その後の刑事公判においても右将司ら原告三名の弁護人としての活動を続けている。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  同2(検察官による違法行為)について

1(一)  同2(一)(1)及び(2)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  同2(一)(3)の事実中天皇訪米が昭和五〇年九月三〇日に予定されていたこと、検察当局が同年九月二〇日以前に荒川鉄橋事件を公表しなかったこと、同年六月下旬原告将司、同あや子、同片岡の自供に基づき荒川鉄橋事件に関する検察官面前調書が作成されたこと、それ以外に同年九月二〇日以前に荒川鉄橋事件につき捜査がなされなかったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右連続爆破事件の捜査主任である親崎検察官は荒川鉄橋事件についてはできれば起訴しないで済ませたいとの意向であったことが認められ、また、弁論の全趣旨によると、荒川鉄橋事件は表面化しないまま、原告将司、同あや子、同片岡による連続爆破事件の焦点は、同年七月一七日興亜観音等爆破事件の起訴により捜査から公判に移行したことが明らかであるが、その余の事実はこれを認めるに足りる証拠がない。かえって《証拠省略》によれば、原告将司、同あや子、同片岡は、いずれも右自供の際、「荒川鉄橋事件の失敗に関する反省が動機となって三菱重工本社ビルの爆破を計画するようになり、右荒川鉄橋事件で使う予定であった爆弾をこれに流用した。」旨供述していることが認められ、したがって当時検察当局にとって、三菱重工本社ビル爆破事件を起訴する以上荒川鉄橋事件を永久に公表しないで済ますなどということは不可能なことが明らかであったといわなければならない。それにも拘らず、検察当局が荒川鉄橋事件につき前記のような対応をしたのは、《証拠省略》を総合すると、次の事情によるものと認められる。即ち、荒川鉄橋事件は、日本の過去における戦争の責任及び現在における経済侵略等の責任を追及するため、天皇が乗る特別列車を鉄橋もろとも爆破しようとしたものであって、偶然の事情から爆弾の設置ができず予備行為にとどまったとはいえ、前記のとおり長期にわたって練られた周到な計画に基づき準備が進んでおり、また、同爆破のために作成された爆弾も三菱重工本社ビルの爆破によって明らかなとおり強大な殺傷、破壊能力を有していることから、極めて悪質で社会的影響の大きい犯行であったため、これを公表すれば、いたずらにマスコミの攻勢に遭い、捜査の重点が同事件に移る結果になることが明らかであるところ、そうなれば、当時捜査中であり一連の企業爆破事件の中でも最も重大な犯行である三菱重工本社ビル爆破事件の全ぼう解明に支障をきたすことになるばかりか、これに引き続き早急に捜査解明すべき間組本社爆破事件等重大な被害を生じたその他の企業爆破事件多数についての円滑な捜査・処理をも妨げるおそれもあったし、また「天皇訪米阻止」を叫ぶ過激派に与える影響も考慮して、一連の企業爆破事件の捜査処理を一応終え、かつ、天皇が訪米を終え帰国するまで、これを外部にはもちろん捜査当局内部においても秘密にし、その捜査の進行もひとまず保留することにしたものである。

(三)  同2(一)(4)の事実中昭和五〇年九月二〇日、朝日新聞紙上に本件新聞記事が掲載されたこと、連続企業爆破事件については、原告将司、同あや子、同片岡、荒井まり子が東京地方裁判所刑事第六部に、黒川芳正、浴田由紀子が同第五部にそれぞれの起訴事件で係属していたところ、右刑事被告人らは全員で統一公判を要求し、同年一〇月三〇日右第六部で右四名につき第一回公判が開かれる予定であったにもかかわらず、右四名が分離公判に反対して出廷を拒否したため、同期日は同年一一月二七日に延期され、裁判の進行も波乱の様相を呈していたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、同年一〇月半ばごろから「原告将司、同あや子、同片岡につき荒川鉄橋事件の自供を内容とする検察官面前調書を作成しておきながら、検察庁はこれを発表せずまたその捜査を続行することもしないで同事件を故意に積極的に隠してきたが、右姿勢は問題である。」という新聞論調が現われだしたことが認められる。

2(一)  請求の原因2(二)の事実中原告将司、同あや子、同片岡が荒川鉄橋事件の被疑者として昭和五〇年一〇月三一日逮捕され、引き続き勾留されたうえ同年一一月一四日同事件につき殺人予備、爆発物取締罰則違反により起訴されたこと、右事件に関し長山検察官が原告将司を、関場検察官が原告あや子を、松浦検察官が原告片岡を取調べたこと、右取調に当って右検察官らが本件新聞記事の情報源に関する発言をしたことは、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、検察官による右発言の具体的内容及び同発言がなされるに至った経緯を検討する。

(1) 《証拠省略》及び前記原告将司らに対する連続企業爆破事件の第一回公判期日が昭和五〇年一〇月三〇日に予定されていたとの事実を総合すると、次の事実が認められる。

(ア) 昭和五〇年一〇月一八日、原告将司、同あや子、同片岡を被告人として当時既に起訴されていた全ての刑事被告事件の弁護人であった庄司宏、新美隆、高橋耕、内田雅敏及び原告甲野は、一〇月一六日の新聞各誌に「東京地方検察庁公安部は、一五日、原告将司らを荒川鉄橋事件につき殺人予備容疑で捜査する方針を固めた。」旨の記事が掲載され、一部には「前記第一回公判が予定されている一〇月三〇日前に強制捜査に踏み切る可能性がある。」ことを窺わせる記事もあったため、これらの記事の内容が真実であるか否かの確認及び仮に真実でありかつ同事件について起訴を予定しているならば公判における弁護方針を再検討する必要が生ずることから一〇月三〇日に予定されている第一回期日の変更に同意してほしい旨の依頼を目的として、東京地方検察庁に、連続企業爆破事件及び荒川鉄橋事件の捜査主任である親崎定雄検察官を訪れ、右六名は同日話合いの場を持った。

(イ) 右話合いの席上新美隆弁護士から親崎検察官に対し、「荒川鉄橋事件については何時捜査を開始するのか、またどのような方法で捜査をするのか、捜査すれば当然起訴になるのか。」という質問及び「荒川鉄橋事件につき捜査をして起訴する予定ならば一〇月三〇日の期日についての変更申請に検察官も同意してほしい。」旨の依頼をした。これに対し、親崎検察官から、同事件について捜査をする予定ではいるがその開始時期及び方法はまだ決まっておらず、また捜査すれば当然起訴になるというものではなく処分の方針も未定であるので、とにかく期日は変更すべきではなく、弁護人のなす期日変更申請には同意できない旨の回答がなされた。これに対し、弁護人から、わざわざ捜査開始の予定を新聞発表していることや事件の性質から考えれば当然起訴するのではないかという質問がなされ、更に、原告甲野から、「検察官は六月中に自供調書を作成しているのに、今更何を調べるのか。現段階で、起訴するか不起訴にするか判断できるのではないか。」との発言がなされた。そこで、親崎検察官が「検察官が供述調書をいつ作成しているかということを、弁護人は何故知っているのか。自分達の知るところでは、本件新聞記事は原告将司の同甲野宛の手紙が朝日新聞に持ち込まれたものであるというような話になっているが、その話の内容は真実であるのか。」との質問をしたところ、弁護人らからこれに対する回答も抗議もなかった。そうしているうちに、親崎検察官は、同話合いの席上における弁護人らの発言内容や口調から、弁護人らが荒川鉄橋事件を起訴してもらいたいと考えている旨強く感ずるようになり、しかも、前記質問にもあったとおり本件新聞記事は原告将司の同甲野宛の手紙が朝日新聞に持ち込まれたものであるとの噂が有力であったため、弁護人らに対し、「弁護人宛の原告将司の手紙が新聞社に持ち込まれてそれが公表され、検察官が捜査をせざるを得ない情勢を作られたことは遺憾である。また、弁護人らの発言からすると起訴を要求しているように聞こえるが、そのように理解してよいか。弁護人として本来なすべき活動と逆なのではないのか。」と質問した。すると、庄司宏弁護士から「事件が事件だからやむを得ない。」との発言があったため、親崎検察官が更に「原告将司、同あや子、同片岡間でも、右事件の公表や起訴を希望するか否かについて意思統一が十分なされていないのではないか。」と質問したところ、「それは内部の問題であるから。」と言って明確な回答をせず、これをもって同話合いは終了した。

なお、右の点に関し、原告らは、右一〇月一八日の話合いの席上では本件新聞記事の情報源に関する話は全く出ず、その情報源に関する話が出たのは、昭和五〇年一一月四日、庄司、新美、内田の各弁護士が東京地方検察庁公安部副部長室の応接間で親崎検察官と面会した時が初めてである旨主張し、《証拠省略》中にはこれに副う部分があり、また、証人新美隆の証言により真正に成立したものと認められる甲第八号証には、右一一月四日の話合いの際本件新聞記事の情報源に関する話が出た旨の記載があり、更に同証言によれば、同人が右話合いの結果をまとめたメモである右甲第八号証のメモ書の続きには、「本件新聞記事の情報源が原告甲野であることは確かな根拠に基づくもので、取調べの担当者に同事実を指示するに当って当人に事前に確認をとる必要があったとは考えていない。」という趣旨の発言がなされたとの記載があることが認められる。しかしながら、後記認定のとおり、親崎検察官は、昭和五〇年一〇月三〇日、荒川鉄橋事件の捜査担当者を集め捜査会議を開いて翌三一日に強制捜査をなすについての一般的打合せを終えた後、長山、関場、松浦各検察官をその個室に呼び、同人らに対し、原告将司、同あや子、同片岡の取調べに関する注意点を特に指示し、その際、「自分が一〇月一八日ごろ連続企業爆破事件の弁護団と話合いの機会をもった折、本件新聞記事は原告将司が同甲野宛に出した手紙が情報源になっているとの噂が司法関係記者の間で公然の事実とされている点を確認すべく質問したところ、回答はなかったものの、その態度、感触からして自分には了承したように見受けられたし、同話合いの全体的流れからして自分には弁護人から荒川鉄橋事件を起訴して欲しいと言われたように受け止められた。」旨説明しており、同事実に照らすと、右各証拠中前記認定に反する部分はにわかに措信し難い。もっとも、《証拠省略》によれば、原告ら主張の昭和五〇年一一月四日の話合いの席上でも本件新聞記事の情報源に関する話が出たことは認められ、《証拠省略》によれば、連続企業爆破事件の弁護人らが検察官において本件新聞記事の情報源を原告将司の同甲野宛の手紙であると把握していることに関して抗議行動を開始したのは、昭和五〇年一一月四日であり、同日を境として慌しい動きをしたことが認められるが、《証拠省略》によれば、それは、同日、内田弁護士が原告片岡らと接見した際、原告片岡から、「自分に断わりなく弁護人の方で勝手に荒川鉄橋事件を公表したこと」等に対する予想外の強い不満をぶつけられたこと、加えて、取調検察官が右情報提供に際して金銭の授受があったとの噂がある旨の発言までしていることが判明したため、弁護人として何らかの対応を迫られた結果であると考えられ、したがって同事実は前記認定を覆すに足りない。

(2) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(ア) 親崎検察官は、昭和五〇年一〇月一五日、荒川鉄橋事件の捜査をするため人的編成を組み、その担当者を集めて各自下準備をしておくよう指示した。その際の指示によれば、原告将司の担当は長山検察官、原告あや子の担当は関場検察官、原告片岡の担当は松浦検察官ということであった。

(イ) 親崎検察官は、昭和五〇年一〇月三〇日、荒川鉄橋事件の捜査担当者を集め捜査会議を開いて翌三一日に強制捜査をなすについての一般的打合せを終えた後、長山、関場、松浦各検察官をその個室に呼び、同人らに対し、原告将司、同あや子、同片岡の取調べに関する注意点として、第一に、取調べに当って原告将司、同あや子、同片岡から、六月に自供し七月の中ごろには一連の爆破事件が起訴を終えているにもかかわらず、何故、朝日新聞に本件新聞記事を掲載させて世論を作り上げたうえ、この時期に強制捜査に踏み切ったのかという疑問が呈示される可能性が大きく、しかも本件新聞記事が掲載された二日後ごろの取調べ状況に照らすと供述を拒否することも十分予測し得ること、第二に、そのような状態に至った場合には、右疑問を氷解させるよう努力して欲しいこと、まず、第一回公判前に強制捜査を開始するのは適当でないし、また、今回の強制捜査の発端となった本件新聞記事は捜査当局側から流した情報によるものではなく、司法関係記者の間で公然の事実とされているところによれば、原告将司が同甲野宛に出した手紙が情報源になったものであり、現に自分が一〇月一八日ごろ連続企業爆破事件の弁護団と話合いの機会をもった折右の点について確認すべく質問したところ、回答はなかったものの、その態度、感触からして自分には暗に了承したように見受けられたし、右話合いの全体的流れからして自分には弁護人から荒川鉄橋事件を起訴して欲しいと言われたように受け止められたのであり、この捜査はむしろ被疑者側から仕掛けられたものであるということができ、これも説得の手段になろう、第三に、荒川鉄橋事件が真に存在したものであるのか、それともその思想の宣伝にとどまる架空のものなのかを究明することを念頭に置いて欲しいという説明をした。その際、本件新聞記事に関して自分が把握している事実として、金額の点は三、四〇万円から何百万円という額まで色々なことを言う者があって一定していないが、司法関係記者の間には本件新聞記事の情報は金で売られたものであるという噂があること、また朝日新聞側でこの情報を受け取ったのは村上という記者だという司法関係記者もいることも話した。

(3) 右で認定した親崎検察官による指示の内容、《証拠省略》を総合すると次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(ア) 長山検察官は、昭和五〇年一〇月三一日、原告将司を荒川鉄橋事件について逮捕し、引き続きその弁解を録取したところ、同原告は、被疑事実は認めたものの、その具体的事実関係の供述を調書にすることを拒否するとともに、自供後三か月以上経ちしかも刑事裁判の第一回公判期日が自分達の抵抗で流れた翌日に強制捜査に及んだ検察庁の行為に疑問を表明し、これを批判した。そのため、長山検察官は、この強制捜査は、同原告らに対する腹いせとか陰謀とかに基づくものではなく、本件新聞記事が掲載されたことによってせざるを得ない状況になってしたものであり、起訴するかしないかも未定であることを説明したうえ、予め用意していた本件新聞記事のコピーを示して「この記事は君たちの方から流したのではないか。」と質問したところ、同原告は、「自分が原告甲野宛に出した手紙がもとかもしれない。」と答えたものの、荒川鉄橋事件の具体的事実関係の供述を調書にすることには納得しなかった。そこで、翌一一月一日、長山検察官は、昭和五〇年一〇月二九日付朝日新聞の一部の写し(乙第六号証の二)、前日原告将司の居房から押収したメモのコピー(乙第二、第三号証)を持参して同原告を取調べ、取調べの際右メモが同原告の作成にかかるもので原告甲野に対する手紙の控えであることを確認したうえ、その面前において右記事と右メモの内容を対照させたところ、同原告は「この記事も自分の原告甲野宛の手紙がもとになっている。」旨供述したため、同原告に対し「弁護人に対して犯行の全容を明らかにして公表、起訴を要求し、これを公表しない検察当局を批判している以上、真相を明らかにすべく協力すべきではないのか。そうしないと架空の思想宣伝に終わってしまう可能性がある。」旨説得したが、同原告は納得せず、前日同様具体的事実に関する調書を作成することはできなかった。一一月二日、取調べの際、原告将司は長山検察官と雑談を交す中で、「情報の提供に当っては金が流れているんだろうね。」と質問してきた。そこで、長山検察官は、「朝日新聞は六〇〇万部も五〇〇万部も印刷されているんだから、普通に考えれば相当の金が出ているのではないか。」と答えたところ、同原告が更に、「それは誰が調べたことなのか。絶対に断定し得るのか。」と質問してきたため、これに関し、「新聞記者仲間には噂もあるようだが内容もまちまちだし、誰も確認はしていないのだ。」という説明をした。これに対し同原告は、「自分が弁護士宛に出し弁護士が保管している手紙を、弁護士がどのように使おうと関係ない。」と言っていた。長山検察官は、同日も前日同様の説得を試みたが、同原告は納得せず、やはり調書は作成できなかった。もっとも、翌三日になって、同原告は、今回の強制捜査が陰謀や自分達に対する腹いせによったものではなく、自分が原告甲野に宛てた手紙に基づく本件新聞記事のみをきっかけとするものであることを理解し、荒川鉄橋事件が架空の思想宣伝ではなく実在したものであることを明らかにするため、問答形式で週書を作成することに同意した。

(イ) 関場検察官は、昭和五〇年一〇月三一日、原告あや子を荒川鉄橋事件について逮捕し、引き続きその弁解を録取したところ、同原告は同事件については黙秘の態度をとり、殆んど口をきかない状態であった。そこで、取調べに当った関場検察官は、同原告が話に応じるきっかけを作るため、世間話をしたり、爆弾事件を歴史上の事件として位置付けるには荒川鉄橋事件を取調べの場で明らかにする必要があるのではないかと説得したりしてみたが効を奏さなかった。そこで、同検察官は、更に、予め用意していた本件新聞記事のコピーを示して、検察庁がこの時期に強制捜査をするに至った経緯、すなわち、自分の考えるところでは、捜査当局は警備上の問題から天皇の訪米終了後にこれを公表するつもりであったところ、天皇の訪米出発前に本件新聞記事が掲載され、検察庁としても事件の存否を明確にする必要に迫られ捜査に着手することを一〇月中ごろ決めたが、第一回公判期日前に捜査を開始するのは妥当でないと判断していたと思われることを説明し、その際右新聞記事の情報源に触れ、「情報源は原告将司の同甲野宛の手紙であると思う。本日原告将司の独房で押収した同原告のメモにも本件新聞記事の内容に沿う手紙を原告甲野に宛てて出した旨の記載があったし、本当か嘘かは知らないが、司法関係記者の間にも数十万円ではなく数百万円の金銭で右手紙が流れたという噂があるのだ。荒川鉄橋事件を明らかにするのは被疑者グループの希望のようだから、供述することは検察当局に屈したということにもならないだろう。情報源については間違いないとは思うが、金銭授受については噂で本当か嘘かわからない。いずれにしても、弁護人と接見したときに君自身で確かめてみたらいい。間違いだったら取り消す。」旨の発言をした。これに関し、原告あや子は、自分も以前原告将司に対し荒川鉄橋事件を公表することに賛成する旨の意思表示をしたとの発言をしたものの、相変わらず被疑事実については黙秘した。その後関場検察官は一一月一日から三日まで連日原告あや子を取調べたが、その際には右情報源の問題には全く触れず、ただ、一一月四日に内田雅敏弁護士が、翌五日に原告甲野がそれぞれ原告あや子に接見したため、各同日の取調べの際、右情報源の問題を確かめたかどうかを確認する意味で、「情報ルートの流れと金銭の問題を確かめたかね。」と質問したことがあったが、同原告はこれに対し答えなかった。同検察官は一一月六日以降取調べの際右情報源の問題に触れていない。

(ウ) 松浦検察官は、昭和五〇年一〇月三一日、原告片岡を荒川鉄橋事件について逮捕し、引き続きその弁解を録取したところ、同原告は同事件については黙秘する旨述べた。そこで、取調べに当った松浦検察官は、同原告に対し、企業爆破事件の関係では全面的に自供しているのに何故荒川鉄橋事件についてだけ黙秘するのかを質問した。すると、同原告は、刑事裁判の第一回公判期日が自分達の抵抗で流れたことに対する報復として検察庁は逮捕に踏み切ったのではないか、連続企業爆破事件の捜査が一段落して三か月以上経ってから強制捜査する必要があるのかとの疑問を呈したうえ、この間のいきさつを説明してもらえないことには供述する気持ちはない旨答えたため、同検察官は、荒川鉄橋事件の存否及びその内容を明らかにするにはまず同原告の右疑問を氷解させる必要があると判断し、自分は当初担当範囲が違ったことから荒川鉄橋事件については本件新聞記事によって初めて知ったもので、したがって六月に同事件につき自供がなされた時点で何故捜査を続行しなかったかの点については全く事情がわからず説明しようがない旨を断わったうえ、検察庁がこの時期に強制捜査をせざるを得なかった理由と必要性としては、本件新聞記事によって荒川鉄橋事件が国民全体に知られるところになり真相の解明を求める国民の期待が髙まったため、検察庁としても再度厳正に捜査し直してはっきり結論をつけ右期待に応える義務があるからである旨説明した後、更に、自分としては、右新聞記事は荒川鉄橋事件を一連の企業爆破事件の中核に据えることによって一連の事件の性格付けをしようとして被疑者側が漏らした情報に基づくものであると考えているが、自分達の方で公表しておいていざ捜査ということになって口をつぐむのは態度として矛盾するのではないかと述べ、同事件についても供述するよう同原告を説得した。しかし、同原告はこれに納得せず、「自分達が漏らしたというならば、具体的なルートを示せ。」と言い返してきたため、同検察官は、同原告の抱いている前記疑問を氷解させ検察庁の当該強制捜査の必要性を納得させるためには、更に自分が真実と信じている情報ルートや根拠について具体的に説明する必要性があると考え、その根拠として、①原告将司の居房から押収されたところの原告鈴木に対する手紙の控えと思われるメモの内容と本件新聞記事の内容とが一致すること、②原告将司自身も取調検察官に対し自分の原告甲野宛の手紙が朝日新聞社に提供されたものと思うと述べ自認していること、③右押収にかかるメモ中に、検察庁に対し本件の公表や起訴を要求する旨の記載があることなどを挙げたうえで、情報ルートとしては、「原告将司が同甲野宛に書いた手紙が朝日新聞社に提供されたものと思う。」と説明した。すると、同原告は、右説明に関して、「金が動いているのか。」と質問してきたが、同検察官は、同原告に不必要な誤解を与えない配慮をし、「そういう噂もあるが、私自身確認したことではないのでなんとも言えない。必要ならば弁護人との接見の際に確認してみるように。」と答え、それ以上この問題について深入りすることを避けた。すると、同原告は、「原告将司は、当初から荒川鉄橋事件を公表することに積極的であったが、自分はこれに消極的であった。公判で共に防禦活動をしていく以上結局は原告将司の方針に従わざるを得ないとは考えていたものの、接見に来た弁護人は公表前にもう一度連絡する旨言っていたのに、別段の連絡もなく、自分としては本件新聞記事による公表には不満と疑問を持っているので、これが解消するまでは供述を拒否する。」と言ったため、同検察官が更に、「六月の時点で検察官に自供している以上今さら黙秘権を行使する意味はないのではないか。」と言ったところ、同原告は、「荒川鉄橋事件は実在したもので、詳細は六月に述べたとおりである。」旨述べ、同日の取調べは終わった。翌一一月一日、取調べに当って、同原告は、同検察官に対し前日同様「公表についての疑問、不満が解消するまでは供述しない。」旨言ったうえ、「一体公表にどのようなメリットがあるのか。」と質問してきた。そこで、同検察官は、「前記押収にかかるメモの内容から考えると、一連の爆破事件が単なる企業爆破と社会に受け止められているのが、その公表により、これがもっと根の深い政治的なものであるということを国民にアピールでき、同事件を一連の爆破事件の柱に据えて公判を闘うことができるようになるのではないか。」と説明したが、やはり同原告は荒川鉄橋事件については供述しなかった。一一月二日、三日の取調べの際には右公表問題は話題にのぼらなかったが、一一月四日の取調べの際、同原告は、同検察官に対し、「午前中接見した弁護団の一人に朝日新聞社への情報提供を尋ねたところ、原告甲野が情報を提供したことはないと言っていた。また、その弁護人が言うには他の人(原告将司、同あや子を指すものと思われる。)から、右情報提供に関して一〇〇〇万円の金が動いたという噂がある旨及び情報を受けた記者の名は村上である旨を聞いたとのことである。真偽はどうなのか。」と質問してきた。そこで、同検察官は、既に弁護人の口から金額の噂が伝わってしまっている以上、噂どおり話をした方がかえって事実を誤解させないであろうし、そうした方が検察庁の立場を理解し信用してもらえるであろうと考え、「原告将司の同甲野宛の手紙がどのような態様で朝日新聞社の手元に届いたかまでははっきりしないが、私は、原告甲野が情報提供を承諾したことだけは間違いないと思っている。情報を受けたのが村上という記者であるということは、警視庁詰めの記者の中でそういう話になっている旨聞いている。また金が動いたという噂はあるが、私が聞いた噂は一方に六〇万円という金額が出てきたり、片方で六〇〇万円と言ったり、一〇〇〇万円と言ったり諸説紛々であって私自身も確認のしようがないため今まで金額のことを言わなかった。しかし君の方からそう言うなら確かに金額の噂はある。」と答えた。同原告は同日も荒川鉄橋事件については供述しなかった。翌五日の際も、同原告は、同検察官に対し、「今日は原告甲野と接見したが、同人も朝日新聞社への情報提供を否定していた。一体どちらが本当なのだろうか。」と質問してきたので、同検察官は、「この件については自分の方からはもう触れない。自分で判断するように。とにかく、基本に立ち戻って、現時点で荒川鉄橋事件についてどのような取扱いをするかをよく考えて決めろ。」と言ったところ、原告片岡は、予め書かれたメモを取り出して荒川鉄橋事件の供述を始めた。

このように、同検察官は、原告片岡に対して、右朝日新聞の記事の情報源に関しては、終始、原告将司が原告甲野宛に出した手紙がもとになって記事が書かれているということを前提として、「このことは原告甲野が承諾しない限りありえないことである。そういう意味で、原告甲野が情報提供者であると確信している。」と説明をしていた。

なお、《証拠省略》によれば、金銭の授受や村上記者の名が取調べの際にとり上げられたのは一一月五日となっているが、《証拠省略》によれば、それは内田弁護士と接見した日(前記認定のとおり一一月四日)であると認めるのが相当である。

3  右2(二)(3)で認定した各検察官の発言の違法性について

(一)  被疑者は、法によって、弁護人を依頼し、同人の活動を通して自己の権利を防禦する権利を保障されている一方、被疑者と弁護人の関係は、殆どの場合事件を契機にして始まるため個人的な信頼関係が出来上っておらず、特に被疑者が身柄を拘束されている場合には情報が十分与えられないこともあって弁護人に対して猜疑心を持ちやすいので、被疑者の取調べに当たる捜査官としては、被疑者と弁護人の間の信頼関係をいたずらに動揺させ、それによって被疑者の弁護人の活動を通して自己の権利を防禦する権利を侵害することのないよう注意して取調べるべき注意義務があることは当然であり、これを侵害する行為が違法であることは言うまでもない。そこで、右2(二)(3)で認定した各検察官の発言が右の意味で違法なものか否かを検討する。

(二)  右取調検察官の発言は、既にみたところから明らかなように、本件新聞記事の情報源ないしはその提供に関する部分と、金具授受の噂に関する部分に分けられ、各部分は、その発言のなされた経緯、原告らに対する影響を異にするので、以下、各部分につき順次検討することにする。

(1) 本件新聞記事の情報源ないしはその提供に関する部分について

(ア) この部分は、松浦検察官の発言としては、要するに「本件新聞記事は、原告甲野が、同原告宛の原告将司の手紙を情報として提供した結果掲載されたものであり、そのことを検察当局は確信している。」というものであるが、長山検察官及び関場検察官のそれは、「本件新聞記事の情報源は原告将司の同甲野宛の手紙である。」というにとどまっているものである。しかし、後者もまた、原告甲野がその情報の提供に何らかの形でかかわったということを意味しているものと言ってよく、右三検察官の発言には表現上の差異はあるものの、骨子は松浦検察官の発言と異なるものではない。

(イ) しかし、《証拠省略》を総合すると、原告将司、同あや子は、本件新聞記事掲載当時、原告甲野に対し、荒川鉄橋事件を原告甲野の手を通して公表することを積極的に頼んでいた事実が認められ、したがって、原告将司、同あや子が取調検察官から「本件新聞記事は、原告甲野が、同将司から受け取った手紙を朝日新聞の記者に流した結果掲載されるに至ったものである。」旨言われても、そのこと自体によって原告将司、同あや子が同甲野に対し不信感を持ったり、同甲野の弁護権の行使が妨げられたことはありえず損害はないと言うべきであるから、右原告将司、同あや子に関してはこの点を判断する必要がない。

(ウ) 一方、《証拠省略》を総合すると、原告片岡は、本件新聞記事掲載当時、荒川鉄橋事件は公表したくないとの希望を有しており、原告甲野に対し、「連続企業爆破事件の公判活動を原告将司、同あや子と一緒にする以上、同人らがあくまで公表を希望するなら、自分としても敢えて反対はしないことにするが、現実に公表する前にもう一度接見に来て欲しい。」旨伝え、原告甲野もこれを了承したこと、ところが、本件新聞記事に先立ち、原告片岡は、連続企業爆破事件の弁護人から公表を実行に移すことにつき何の連絡も受けていなかったこと、そのため、原告片岡は、松浦検察官から「本件新聞記事は、原告甲野が、同将司から受け取った手紙を朝日新聞に流した結果掲載されるに至ったものである。」旨言われたことによって、少なからず原告甲野に不信感を持ったことが認められる。

しかし、右松浦検察官の発言内容の事実の真否についてはその真実性が十分に解明されていると言えない点もあるが、同検察官においてその内容が真実であると信じて発言をしたこと又は取調の過程でこの発言をしたことに過失があるものとは到底認められない。即ち、前記認定のとおり、親崎検察官は昭和五〇年六月荒川鉄橋事件についての自供を得た後本件新聞記事掲載の時点まで同事件の存在そのものを捜査当局内部においても外部に対しても秘密にしたこと(《証拠省略》によれば同事件の存在及び右自供の内容を知る者は数名の検察官のみであり、右検察官に対してはこれを秘密にする旨命令してあることが認められる)、司法関係記者の間でも原告将司の同甲野宛の手紙が本件新聞記事の情報源であることが言われており、この点を親崎検察官が昭和五〇年一〇月一八日の弁護団との話合いの席上で質問したにもかかわらず、弁護人らはこれに対し何ら反論、抗議をしなかったこと、本件新聞記事掲載当時原告将司、同あや子は荒川鉄橋事件を公表することを希望し、同片岡な消極的ながらも公表もやむを得ないと考えていたこと等からすると、連続企業爆破事件の弁護人である原告甲野が、原告将司らの意を汲んで、同事件を公表したと考える余地が十分にあり、しかも、証人親崎定雄の証言によれば、本件新聞記事掲載後においても捜査当局は外部に対し荒川鉄橋事件の詳細を明らかにしなかったにもかかわらず、前掲乙第六号証の二により明らかなとおり、昭和五〇年一〇月二九日、同事件の詳細を報ずる新聞記事が掲載されていること、前掲甲第一号証、乙第二号証、第六号証の二、第一〇ないし第一二号証の内容を対照すると、原告将司の居房から押収した同原告の原告甲野に対する手紙の控え(乙第二号証。なお、《証拠省略》によれば、これが昭和五〇年九月中旬には原告甲野に対して発信された事実が認められる。)の内容と、本件新聞記事及び右昭和五〇年一〇月二九日付新聞記事の内容はほぼ一致しており、特に、荒川鉄橋の爆破予定時刻を「八月一四日午前一〇時五八分から午前一一時〇二分の間とした。」旨の記載部分等、右一〇月二九日付の記事のうちには、原告将司、同あや子、同片岡の検察官面前調書だけからは書き得ない部分があるので、これらの事実を総合して検討した場合、「本件新聞記事は、原告甲野が、同将司から受け取った手紙を朝日新聞の記者に流した結果掲載されるに至ったものである。」と判断することに落度はないと解するのが相当である。もっとも《証拠省略》によれば、原告将司の居房から押収した同原告の原告甲野に対する手紙の控えの内容と本件新聞記事の内容とは、荒川鉄橋事件が結局において失敗に終わった理由に関する記載部分に違いがあり、また《証拠省略》によれば警察官である根本宗彦、牧師である葛生良一は、本件新聞記事掲載前から荒川鉄橋事件の存在を知っていたことが認められるが、同各証拠によれば、右両名が知っていたのは正に同事件の存在程度のことであって本件新聞記事及び右昭和五〇年一〇月二九日付新聞記事の具体的資料たり得る事実には及んでいないし、前記失敗原因についての記載内容の相違も、《証拠省略》によれば、原告将司の同甲野宛の手紙の内容は、数回に分けて書かれ発信され、第一回目である九月九日付の手紙には右失敗原因までは記載されていなかったことが窺えるのであり、この点に照らせば、いずれも右判断を左右するには足りない。

また、検察官の前記各発言がなされた経緯及び動機についても、前記認定の事実から明らかなとおり、これは、荒川鉄橋事件を放置していたことの責任逃れや弁護人と被疑者との間の信頼関係を破壊することを企図したというものではなく、原告将司、同あや子、同片岡が、荒川鉄橋事件につき六月の時点で一旦自供しながら強制捜査段階ではその具体的内容に関する供述を拒否することが予想され、又現に拒否し、その理由は、昭和五〇年一〇月三一日になって強制捜査を開始したことについての検察当局に対する不信、不満にあると窺われたことから、右不信、不満を氷解させてその供述をえることにより、荒川鉄橋事件が真に存在したものであるのか、それともその思想の宣伝にとどまる架空のものなのかを究明するための必要上なされたものと認めるのが相当である。

そうすると、いずれにしても松浦検察官の右発言を非難することはできない。

(エ) また、原告甲野は本件新聞記事の情報源ないしはその提供に関する検察官の発言により弁護権の行使を妨げられ、或いは名誉感情を侵害されたと主張しているが、各検察官の発言内容は前記認定のとおりであり、その発言内容の真実性については十分に解明されているものではないが、(ウ)において検討したと同様の理由で各検察官の発言には過失があったとは認められないものである。そうすると、右原告甲野の主張も失当というほかない。

(2) 金銭授受の噂に関する部分について

(ア) この部分に関する長山、関場、松浦各検察官の発言は、既に認定したとおり、専ら親崎検察官からの情報提供に依拠していることが明らかであるところ、《証拠省略》によれば、金額の点は三、四〇万円から何百万円という額まで色々なことを言う者があって一定しないものの、当時、司法関係記者の間に、本件新聞記事の情報は金で売られたものであるという噂があったことが認められ、同認定を覆すに足りる証拠はない。しかしながら、噂であることを明らかにし、かつ事実そのような噂がありさえすれば、どんな発言でも違法性を欠くとか免責されるということにはならないのは当然であり、特に本件の場合、右噂は弁護士の倫理にも関わる重大な内容を含むものであったのであるから、この点はなお慎重に検討しなければならない。ところで、既に認定のとおり、親崎検察官は、同じく「噂」として、朝日新聞側でこの情報を受け取ったのは「村上」という司法関係記者だとの発言をもしているところ、本件新聞記事が原告甲野の情報提供によるものであるということは、単なる噂ではなく、諸事実によって裏付けられた事実であると発言していることと相俟って、「村上」という固有名詞を出すことにより、「噂」が単なる噂を越えた事実性を帯びる可能性もあること、また、取調検察官がこれを原告将司ら被疑者に対して明らかにすることも考えられることに照らせば、親崎検察官としては、同発言に先立ち、朝日新聞社に対し「村上」なる司法関係記者が在籍するかについて照会する程度のことはすべきであったと言ってよい(そうすれば、《証拠省略》によって認められるとおり、朝日新聞には「村上」なる記者は在籍していなかったことが直ちに判った筈であり、従って右噂の信頼度が決して高いものでないことを適確に判断しえたのである。)。そのような簡単になしうる調査すらしないまま、これを長山ら三名の取調検察官に話し、結果的には同検察官らが原告将司ら被疑者にその旨の発言をすることを容認した親崎検察官の態度は、右噂の内容の重大性に鑑みるとき軽卒であったものと言うほかはない。

(イ) しかし、親崎検察官としてはこれを捜査に利用することを指示して発言したわけではなく、単に、本件新聞記事に関して自分が把握している情報をあるがままに提供する趣旨で、あくまで未確認の噂として、部下の検察官に対して述べたものであること、また、親崎検察官からの右情報提供に依拠してなされた長山ら三検察官の原告将司らに対する同発言は、前記認定のとおり、いずれも本件新聞記事の情報源ないしはその提供に関する発言に付随してなされたものであること、更に、《証拠省略》によれば、親崎検察官は同年一一月八日に将司ら原告三名に対し、直接「金員授受の噂に関する発言は取消す。」旨の釈明をしたことが認められること、以上の事実を全体的に観察すれば、右各検察官の発言は、いずれも未だこれをもって違法なものであるとは断定することができない。

三  よって、原告らの本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田二郎 裁判官 西理 川口代志子)

〈以下省略〉

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